1997年7月7日、未公開株式の発行流通市場を担う証券会社として、華々しいデビューを飾ったディー・ブレイン証券。VIMEX(Venture Investment Mart EXchange)と名付けた未公開株式市場は、市場とは言ってもディー・ブレイン証券の私設市場。知名度も低く最初の2年間の登録企業はたった5社と、なかなか盛り上がりません。1999年3月期のディー・ブレイン証券の決算は1億円近くの赤字になっていました。
そこへ、飛び込んできたのが、中経出版という出版社。
「ナスダックについてわかりやすい解説本を書いてくれませんか?ソフトバンクさんと共著で書いていただけるとありがたいんですが・・・」
折しもソフトバンクの孫社長が全米証券業協会のフランクザーブ会長と共同記者会見。米国の店頭市場ナスダックを日本に進出させると発表をしたばかりの時です。
同じ時期、東証もマザーズ市場を開設すると発表。
この手の本を出すには良いタイミングで、しかも早ければ早いほど良いと思った私は、こう答えます。
「これ私一人で執筆してもいいですか?孫さんのところにインタビューに行ってきますので。」
出版社の了解を得て、早速、カメラマンを連れて孫社長を訪問。2ヶ月で書き上げたのが『日本版ナスダック早わかり』です。
米国ナスダックの仕組みと、日本の新興証券市場の現状、それがナスダック・ジャパンによってどう変わるかを解説したこの本は、ビジネス書としてはベストセラーとも言える3万部を売るヒットとなりました。
実は240ページのその本の中、10ページほどでVIMEXも紹介してあります。
すると、
「ナスダック・ジャパンが始まる前に日本にもVIMEXのような仕組みがあるとは知りませんでした。是非、顧問先の資金調達に使わせてください。」
と、来社された税理士が言います。
それが1年半ぶりのVIMEXの新規登録企業となりました。
2000年に入ると、VIMEXには新規企業が毎月、続々と登録されるようになっていました。
しかもその資金の集まり方が凄い。IT関連企業となると、1億円の募集に最大16億円もの申し込みが集まる加熱ぶり。それを抽選で投資家に割り当てます。
『日本版ナスダック早わかり』では、「拡大縁故募集」の意義を訴えていたにもかかわらず、全く関係ありません。時代はネットバブル。東証にマザーズ、大証にナスダック・ジャパンがオープンし、創業期のネット企業がどんどん上場する環境でした。
新規上場企業の初値は高騰。上場前のブックビルディングでは抽選倍率が100倍を超える過熱した状況となっていました。そこで、上場前の未公開株が買えると考えた投資家がVIMEXに殺到していたのです。
ただ、それも長くは続きません。
2001年3月。米国ナスダックの株価指数が5000ポイントから1300ポイントに暴落。いわゆるネットバブルの崩壊です。これが日本にも波及。新興市場としてもてはやされていたマザーズやナスダック・ジャパンの株価も急落します。初値は公募価格を割り込むようになり、新規上場企業も激減したのです。
VIMEXの新規登録企業も、これまでの活況が嘘であったかのように資金が集まらなくなります。参加していた投資家が消えていなくなったかのようです。
そこで初めて本領を発揮することになったのが「拡大縁故募集」です。
2012年3月に募集した3銘柄は、本格的な拡大縁故募集で、それぞれ7千万円〜1億円の調達に成功します。
奇しくも、証券取引法の改正で、VIMEXはディー・ブレイン証券の私設市場から、日本証券業協会が運営する公の市場制度へと格上げ。「グリーンシート」と命名されます。
この後、ディー・ブレイン証券はグリーンシートでの募集取扱主幹事業務で9割以上のシェアで市場をリード。さらに、上場引受主幹事業務に参入して、株式公開専業証券会社として黄金時代を迎えることとなります。
しかし、それがやがてディー・ブレイン証券の経営を危機に陥れることになろうとは、このときは思いもよりませんでした。
(つづく)
DAN ベンチャーキャピタル 株式会社
代表取締役 出縄 良人(公認会計士)
(プロフィール)