ネットバブル崩壊で、拡大縁故募集による公募増資の性格が鮮明になったグリーンシート。
新興市場の新規上場が低迷するのを後目に、2003年にはグリーンシートは月に2社~3社が登録されるようになります。
そのほぼ全ての主幹事をディー・ブレイン証券が務めていました。
証券取引法の改正で成立した金融商品取引法。
グリーンシート銘柄は、上場株式に準ずる位置づけ。
上場株式と同様に、インサイダー取引規制等の規制が適用されます。
東証が運営するTDnetへの適時開示も義務付けられました。
日本証券業協会では規則を厳格化。主幹事の証券会社には審査と開示指導の責任が明確化されます。
こうなると「未公開株式」ではなく、もはや証券市場の上場と変わりません。
しかしグリーンシートの社会的評価は、いまだ未公開株市場・・・歯がゆいところです。
そこへ転機が訪れます。
子会社のディー・ブレイン九州を通じて緊密な関係を構築していた福岡証券取引所から相談が持ち掛けられたのです。
「ディー・ブレイン証券さんで、Q-Boardの引受主幹事をやってくれませんか?」
と専務理事のKさん。
Q-Boardは九州を中心とする地域の成長企業にエクイティ資金を供給することを目的に福証が開設した新興市場です。
東証マザーズと同時期につくられたものの開設から3年間、上場した会社は1社もありませんでした。
原因は引受主幹事をやる証券会社がなかったこと。
当時、引受主幹事業務を行っていたのは、主に大手証券会社で、東証マザーズやJASDAQ、大証ヘラクレス(旧ナスダック・ジャパン)の新規上場で手一杯。
地方証券取引所を使う余裕も、またその必要性もなかったのです。
Kさんの誘いに嬉しさを隠しきれなかった私でしたが、実は引受主幹事業務をやるには大きなハードルがありました。
「ありがたいお話しですが、難題がありまして。当社にはIPO株を購入する投資家のお客様がいないんです。」
海外では機関投資家の参加が多い新規上場株の募集売出し。日本の新規上場では、引き受けるのは主に初値上昇を狙って短期投資をする個人投資家です。
ところが、ディー・ブレイン証券の投資家のお客様は、皆、拡大縁故募集で参加したグリーンシート登録企業のファンの株主。短期志向の投資家は全くと言って良いほどいなかったのです。
「それでは、松井証券を紹介しましょう。」
と、あっさりK専務理事が言います。
そうか!と私も目が輝きました。
翌週、お会いしたのは、松井証券のM専務。
話はトントン拍子に進みます。
ディー・ブレインが新規上場銘柄を主幹事として引受け、それを松井が100%販売する。いわば上場引受主幹事業務における製販分離です。
ディー・ブレイン証券は新規上場企業の指導と審査に専門性を発揮。
上場企業としての品質に責任を負います。
松井証券は、それを投資家に責任もって販売するわけです。
IPO業界初の画期的な試みでありました。
両社のコンビによる新規上場の第1号は2003年12月。
福証Q-Board1号銘柄となった長崎のビジネスワンです。
それ以降、2007年までに13社が上場。
2006年にはIPO主幹事実績で業界5位に躍り出ます。
福証Q-Boardの他、札幌証券取引所の新興市場アンビシャスでも頭角を現し、両市場におけるディー・ブレイン証券の引受主幹事シェアは6割。
圧倒的な強さを発揮します。
やがて松井証券に加えて東洋証券、カブドットコム証券、SBI証券等も販売団に参加。
いつの間にか、ディー・ブレイン証券は、公認会計士を中心とする優れた上場指導力・審査力とともに、ネット証券と中堅証券会社を通じて強力な販売力を持つ、極めてユニークなIPO専業証券会社の地位を固めていました。
さて、この間、グリーンシートはどうなっていたのでしょう。
実は、たいていの経験不足の経営者が陥りそうな甘い罠に、この時、私も引っかかっていました。
それがディー・ブレイン証券の命運を決めることになります。
(つづく)
DAN ベンチャーキャピタル 株式会社
代表取締役 出縄 良人(公認会計士)
(プロフィール)